はじめに
前回の連載では、学校教育におけるアントレプレナーシップ教育の本質とは、起業家を育てることでもビジネスの必勝法を身につけることでもなく、誰もが「自分の人生の最終決定者になり、自分で考えて決める力を養うこと」であるとお話ししました。
・【連載】「サード・ラーニング」のすすめ:第9回 自分で決める力を育てる教育としての「アントレプレナーシップ教育」 — 育てたいのは「起業家」なのか — – まなびしごとLAB
そして、総合的な探究の時間などで行われるプロジェクトは、まさに自分で決める癖をつけるための練習であると考えています。
今回はアントレプレナーシップ教育に関する実践編として、私が昨年度に全体の進行役を務めたコース別プログラムでの出来事をお話ししたいと思います。
結論からいうと、実践編というより失敗談をお伝えする回になります。
ここでいう「失敗談」とは、生徒ではなく私の失敗談です。
非常にお恥ずかしい限りなのですが、私自身、非常に悔しかった経験でもあり、今後に活かせる教訓を得た経験でした。
そのコース別プログラムでは、生徒たちに対してあえて「アントレプレナーシップ」という小難しい横文字の言葉は使わず、次の3つことを目的としました。
①自分で決めて行動できるようになること
②自分自身のことを知ること
③社会との関わり方を知り、考えること
起業やビジネスを行うことを必須とするコースではありませんでしたが、いくつかのグループでは自分たちで商品を開発したり、仕入れたり、イベントを企画して実施するということを行いました。
そしてなかには、結果として利益を上げることができたグループも生まれました。
その数字だけ見れば、「大成功!」といってもいいかもしれません。
事実、自分で考えた商品が売れたことやお客さまとの出会いに喜ぶ生徒たちの顔をたくさん見ることができ、私としても嬉しい出来事でした。
その一方で、私の胸の中には、今でも消えない、そして決して小さくない「悔しさ」と「反省」が残っています。
売上好調の裏側で、一体何が起きていたのか。
お恥ずかしい限りですが、そのリアルなプロセスを共有させていただきたいと思います。
2 「完売御礼」の裏で起きていたこと

私が関わったグループのなかに、地域の商品開発に関わることになったグループがありました。
彼らは地元の大人たちと協力しながらオリジナルの商品を形にし、地域のイベントで、実際にブースを構えて販売することになったのです。
迎えたイベント当日、彼らは用意していた商品を売るために声を張り上げ、ときにはブースから外に出て「売り子」となってお客さんを連れてくるなど、なんとかたくさん売ろうと努力する姿が見られました。
そのかいあって、天候が悪かったにも関わらず、たくさんの商品を販売し、商品自体も大好評を得ることができました。
このことで完全に気を良くした彼らは、自分たちから「また別のイベントでも販売したい!」と言い出しました。
実はこのグループの生徒は、当初はほかのプロジェクトを考えていたのですが、うまくいかなかったため、私から声をかけて商品開発にシフトしたのです。
それもあってはじめはどちらかというと受け身だったのですが、イベントでの成功体験もあった、自分たちから言い出してくれたのは私としても嬉しい出来事でした。
そして出店した次のイベントでも、自分たちで用意した分をすべて完売するほどの凄まじい勢いを見せたのです。
またしても悪天候でしたが、必死になって自分たちの商品をアピールし、次々と完売させていく生徒たちの姿は、一見すると非の打ち所がないように見えました。
同じ会場にいた先生方もほかの生徒たちも、驚くほどの売上でした。
これが起業やビジネスの成功だけを目的とするのであれば、目的を達成したといってもいいかもしれません。
3 目的は「売上」か「学び」か

このプログラムは総合的な探究の時間の授業の一環であり、「活動による成果」だけでなく、「内面的な成果(自己変容)」という学びにも注目する必要があります。
そして、教育的な意義を考えると、間違いなく重要なのは後者です。
あとから振り返ってそのことを考えると、私は強烈な違和感を抱きました。
果たして、彼らが行ったことはなんだったのか。
そのプロジェクトを行ったことで、彼ら自身や周りにどんな変化が生まれたのか。
一過性のビジネスとしては確かに成功した。
しかし、学びという意味では失敗だったのではないか。
もちろん、それは生徒たちの失敗ではなく、私自身の失敗であり、プログラムとしての失敗です。
どんなことが失敗だったのかというと、主に以下の3つに集約されるかと思います。
①生徒たちの関心の対象が「数字」に縛られてしまったこと
完売を経験した彼らの関心は、「どれだけ売り上げたか」「そして自分たちの手元にいくら残ったのか」という、お金と数字の大きさに完全に集中してしまっていました。
そしてプロジェクトを経たことで、自分たちにどんな変化があったのかを言語化できないまま、プログラムが終わってしまいました。
せっかくこのような成功を収めたプロジェクトだったのに、そこから得たものがお金だけだったとしたら非常にもったいないことです。
そのことに対して、彼らに申し訳なかったと感じています。
②周りとの関係性が築けなかったこと
せっかく学校という枠を飛び出してイベントに出店したのに、モノを販売するだけにとどまり、ほとんど学校の外の人との関係をつくることができませんでした。
イベントは出店者だけでなく、さまざまな人が関わって開催されています。
もちろん商品づくりの過程においてもさまざまな人が協力してくれました。
そのことを伝えきれず、ただ自分たちがつくった商品が売れるかどうかだけに意識が向いてしまいました。
社会にはいろいろな仕事があり、いろいろな人がいて成り立っているということを理解したり、イベントや商品に関わってくれた身近な大人とのつながりをつくることができなかったことは、やはりもったいなかったと思います。
必死に売った結果としての「完売」は素晴らしいことですが、その経験が彼らにとって将来につながる何かになったのかというと・・・
もちろん、彼らが何も学んでいないというつもりはまったくありません。
おそらく彼らなりに何か感じたり、考えたことはあるでしょう。
しかし、その彼らの学びに寄り添えなかった、またそれが本当にあったのかどうか分からないということ自体が、大いに反省すべきことだったと私はとらえています。
4 なぜ「手段」が「目的」にすり替わったのか

ではなぜ、このようなことになってしまったのでしょうか。
この失敗の要因はすべて、私の配慮と設計が行き届かなかったことにあります。
学校の外のさまざまな人たちが関わりながら、学びをつくることの難しさを、身をもって実感しました。
大きな失敗の要因としては、以下の3つがあったのではないかと思います。
①生徒自身が「実施する目的」を明確化できていなかったこと
私が考えるプログラムの3つの目的は、授業の冒頭で生徒の皆さんにはお伝えしていました。
しかし、肝心の生徒の皆さん自身が、「自分たちがなぜこのプロジェクトをやるのか」という目的を自分事として明確化できていませんでした。
そのため、活動が進むにつれて目的がブレてしまい、分かりやすい指標である「売上」に気持ちが向かってしまいました。
②「内省(リフレクション)」の機会不足
プログラムのスケジュールの見通しが甘く、先生方や私が介入し、問いかけたり悩んだりする時間や機会を十分に設けることができませんでした。
また、授業外の自主的なイベント出店ということもあり、「どこまで介入すべきか」を最後まで線引きできなかったということもあります。
結果として、「やりっぱなし」のプロジェクトになってしまいました。
③関わってくれた方との合意形成不足
学校の授業の中だけであれば、先生方と私の間だけの合意ができていればいいのですが、地域との連携となるとそれだけでは十分ではありません。
特に今回のプロジェクトでは多くの関係者の方がいたため、プログラムの目的や生徒との関わり方など、十分に意思疎通や情報共有ができていませんでした。
そのため、「成功するように」「失敗しないように」と過保護になりすぎてしまったのではないかと思います。
では本来、私たちはどうすべきだったかを考えてみます。
まず、プロジェクトが走り出す前に、「主体は誰なのか?」「プロジェクトの目的は何か?」「なんのためにやるのか?」を生徒自身が明確にすることが必要だったと思います。
そして、関わってくれる地域の大人の方々とも、事前に目的を共有しておくことが必要でした。
特に地域の方々は、生徒を応援したいという純粋な善意から、どうしても失敗しないように先回りして舞台を整えてしまいます。
また、一方で自分たちも地域の当事者であることから、「地域を良くしたい」「イベントを成功させたい」という想いが強いからこそ、できる限りの協力をしたいという気持ちが行動となって現れるのだと思います。
それはやむを得ないことではあります。
ただ、事前にプログラムの目的を共有し、「失敗も学びの糧になるのでOK」という合意形成ができていれば、また違う関わり方ができたのではないかと感じています。
5 おわりに

失敗のないプロジェクトに、本当の学びはない。
とはいいませんが、少なくとも失敗のないプロジェクトはない、と私は思っています。
そして学びとしてのプロジェクトにおいては、成功したか、失敗したかに関わらず、次につながる学びを得たかどうかが最も重要なことなのです。
今回の私の大いなる反省は、「活動による成果(完売・売上)」が出たとしても、もう一つの「自己変容(内面的な成果)」が伴わなければ、教育としての意味は半減してしまうということに尽きます。
アントレプレナーシップ教育においては、起業やビジネスによる数字が成果として明確に示されるため、どうしてもそちらに注意が向きやすい傾向があるのではないかと思います。
これはアントレプレナーシップ教育の「罠」といってもいいかもしれません。
今回は、そうした私が身をもって体験したことを共有させていただきました。
もし皆さんの現場で、子どもたちのプロジェクトが「できすぎなほど順調に大成功している」としたら、それは注意が必要なサインかもしれません。
大人がつくった綺麗なレールのうえで、ただ数字の大きさを喜ぶ「やりっぱなしの商売ごっこ」になっていないか、一度立ち止まって目を凝らしてみていただけるといいのではないでしょうか。
アントレプレナーシップ教育をただの起業体験で終わらせず、一生ものの「自分で決める力」へと変えるために、今回の私の失敗と反省が、全国で奮闘する皆さまの小さなヒントになれば幸いです。
