こんにちは!
風間崇志(かざまたかし)と申します。

私は、2020年3月31日まで埼玉県越谷市役所の職員として働いていました。
そして、2020年4月1日からは個人事業主として起業し、屋号を「まなびしごとLAB」として行政と地域の中小企業の中間支援や中小企業支援の事業を開始しました。

なぜ私が公務員を辞め、このような事業を始めたのか、少しご紹介させていただきます。
そこそこ長いので興味ある方はご覧ください。

幼少期(商店街でわんぱく時代)

私は1981年に埼玉県草加市で生まれ、草加せんべいを毎日のおやつに育ちました。

当時、両親は商店街の中にある小さな本屋を営んでいました。
あまり大きな声では言えません(書けません?)が、両親の本屋は私の本棚であり書庫でもありました。

そして本屋のある商店街は文字どおり庭。
商店街中を使って、近所の友だちと鬼ごっこやかくれんぼをしたり、商店街のお祭りの舞台裏に入り込んだりといろんな悪ふざけをしていた記憶があります。

また、同年代の友だちだけではなく、商店街のいろんなお店の人たちと気軽に話せる関係がありました。
だからこそ、どこにいても誰かが見ていてくれるという安心感があったのかもしれません。
思い起こせば、私の幼少期は、地域と密接に関わっていました。

反抗期(大学院入学まで)

反抗期といえば、一般的に10代半ばくらいまででしょうか。
私の場合、かなり長引きました笑
感覚的には大学院に入った歳(24歳)くらいまで続いていたように思います。

中学校までは割と積極的に学校行事の実行委員などに多数参加していたのですが、その反動なのか、高校に入ってからは「いかに1人になるか」を日々考えていたような気がします。

大学に入ってからも同じで、親元を離れて一人暮らしをしていたものの、あんまりやることは高校時代と変わらず・・・。
サークルには入っていましたが、アルバイトも派遣業のみで固定のものはやっていませんでした。(今となってはもったいなかったと思っています)

その後、私の人生に大きな4つの転機がありました。

転機1(大学院と博物館実習)

大学院に進むまでは就職する気もなく、なんとなくこのまま研究者になるのかなと思っていました。
「研究」という言葉への憧れもありましたし、多くの本を読める環境もいいなと思っていたからです。

将来を考える中で、博物館学芸員という仕事に興味を抱きました。
研究者としての姿もあるし、なにより博物館という空間に生来の「コレクター」魂を刺激されたからでした。

学芸員の資格をとるにはいくつかの方法がありますが、私は学芸員課程を履修することにしました。
これには教員と同じように、実習を経る必要があるんですね。
そこでの経験が転機の一つ目です。

実習は夏休みの期間を利用して、実家の近くにある博物館を自分で探すことにしました。
私は日本研究コースの中の民俗学を専攻していましたので、民俗系の博物館を探していましたが、そもそも民俗系の博物館が少ない!
その限られた選択肢の中で、さいたま市にある「民家園」と「くらしっく館」という屋外博物館が目に留まりました。
通常は博物館というと、建物の中をイメージしますが、この2つの姉妹館は屋外と屋内の両方の仕事を経験できると考えたからです。
さっそく館長さんに連絡をとったところ、快く実習を受け入れていただくことができました。

結果的にこれが大正解!!
残念ながら博物館に勤めるという希望は叶わなかったのですが、3つの大きなできごとがありました。

①働くことの楽しさを知ったこと
②仲間との出会い
③妻との出会い

①は、当たり前ですが、学芸員も研究するだけが仕事ではないとわかりました。
実習中に、実習生に体験型ワークショップや展示の企画が任される機会があったのですが、これが楽しかった!
今まで「働く」ことへの興味がわかなかったのが、「働く」のもおもしろいなと思えたのです。

②は、同じ時期に実習をしていた仲間です。
私含め男女5人での実習でしたが、すごく仲が良かった。
実習先の博物館の職員さんにも驚かれたほどです。
指導係のアルバイトの方が、歳が近かったこともあり、実習後も何度か一緒に飲み会をしていました。
この仲間と一緒に何かをするという楽しさも、私の中ではすごく大きい出来事でした。

③は、実はこの実習仲間の中の一人が、何を隠そう私の妻です(笑)
実習中から「ああ、いいな」と思っていましたが、実習期間には何事もなく、付き合うことになったのは出会ってから約2年後のことでした。
縁ってつくづく不思議なものですね。

転機2(産業支援課で働いたこと)

転機の二つ目は、「産業支援課で働いたこと」です。
なんのことやら分かりませんよね。
ちょっと説明します。

無事、博物館実習を終え、「働くこと」への興味が芽生えた私は、2年間の修士課程を終えて就職することにしました。
就職するまでの過程でもいろいろな紆余曲折がありましたが、これもいろいろなご縁があり、結果として越谷市役所に勤めることになりました。

私は、修士論文で、地元である草加市の草加せんべいを題材に、地域ブランドを使ったまちづくりについて研究していました。
その中で、「まちづくり」に非常に興味を持ったのです。

最終面接で、「まちづくりをやりたい!」ということを言ったら、最初の配属先は「開発指導課」という部署でした。
これは、建物を建てるときなどに、条例や都市計画法という法律の許可を出す部署です。
越谷市役所では、まちづくりというとイコール「ハード整備」という、私の考えとのギャップに気づいた瞬間でした。

その後、農業振興課を経て、2014年に産業支援課に配属されました。
やっと出ました産業支援課!
その名のとおり、市内の企業や起業希望者を支援する担当の部署です。

ここで私が担当したのは、製造業を中心とした企業の支援でした。
これが楽しかった!

何がそんなに楽しかったのかというと、大きく2つの理由があります。

①自分で事業をつくる経験ができたこと
②関係者と同じ方向を向いて仕事ができたこと

①は、幸い上司に恵まれ、いろいろな仕事を任されました。
私も、同じことをただ続けるのが嫌いな性格でしたので、何か新しいことはできないかといろいろなことを学び、提案しました。
しかも、それがこの課では実現できたのです。
上司や同僚に本当に恵まれていたと思います。

②は、産業支援という分野においては、市役所と民間がバッティングすることが少なかったということです。
しばしば市役所というのは民間企業や個人の利害関係と衝突してしまうということが起こります。

転機3(比企起業塾)

転機の3つ目は比企起業塾(現比企起業大学)との出会いです。

出会いのきっかけは2018年に参加した、ときがわ町での読書会でした。
当時、妻は第二子の妊娠中。
当時は今のように読書会がそんなに盛んでなく、東京での開催が大半だったことから、自宅から気軽に通える読書会を探していました。

そんな中、妻が自宅から車で30分ほどのときがわ町で、ときがわカンパニーという会社が読書会を開催していることをキャッチしたのです。

読書会に参加していたのは、主催者のときがわカンパニー代表の関根さんと私たちのほかは、いずれも起業家の方ばかり。

そこで初めて「地域で起業家として働く」という生き方をしている人たちと知り合ったのです。
それから3か月後に、私は第2期の比企起業塾に参加を決めました。
後押ししてくれたのは妻でした。

「比企起業塾との出会い」には私にとっていろんな意味が込められています。

比企起業塾長(現比企起業大学総長)であり、起業のお師匠様である関根さんとの出会い。
比企起業塾講師であり、起業の先輩でもある林さん、栗原さんとの出会い。(栗原さんは一般社団法人ときがわ社中のパートナーでもあります)
共に起業を志す仲間との出会い。
地域の仲間との出会い。
ときがわ町との出会い。
地域ミニ起業という働き方との出会い。

そのどれもが今の私のかけがえのない宝物になっています。

転機4(2人の子の誕生)

転機の4つ目は第二子の誕生です。

よく「2人の子どもが生まれたばかりでよく退職したね」と言われるのですが、私は「だからこそ」決断できたのだと思っています。

私は第二子が生まれた際、約2カ月間の育児休暇を取得しました。
それによって退職したときの働き方を疑似体験することができたのです。

大きなストレスを感じていた毎日の通勤がなく、子どもの送り迎えや平日でもおもしろいことがあれば飛びつける身軽さ、地域に密着した働き方=生き方の楽しさ、魅力をリアルに感じることができました。

この体験は非常に大きかったと思います。

確かに辞めた後の収入を考えると、不安がなかったといえば嘘になります。

私が辞めた年はちょうど新型コロナウイルスが猛威を振るって初めての緊急事態宣言が発令されたりなど、大きな社会的変化が生じた年でもあります。

そんな中で起業した私は個人事業主だったからこそ、大きな変化に振り回されずに、結果的にはむしろその隙間でチャンスを活かしていくことができたのだと思っています。

国や社会に生き方を決めてもらうのではなく、自ら考えて決めるという働き方・生き方に、身をおくことができたのは幸運だったと思います。

そして今にいたる

これを書いている現在は、2022年7月で、起業して3年目に入っています。

まだ起業して3年目、やらなければならないこと、やりたいことがまだまだたくさんあります。

起業はさまざまなツールがある今では始めることは誰にでもできるような社会になっています。
始めることよりも続けることが何よりも大事です。

小さくても、長く続くしごとを、地域の仲間と共にたくさんつくっていきたい。
それが今の私の目標です。

そしてそんなしごとをしている親父の背中を、子どもたちが見て「かっこいいな!」と思ってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。

そんな日が来るのを夢見て、今もがんばっています!


基本情報

生年月日1981年11月11日
血液型AB型
家族妻、子2人
趣味本(読む、集める、積む、並べる、ビジネス、食、小説、学術、実用)
旅行(国内、神社)
郷土玩具(だるま、張り子、土人形)
いろんなものを集めること
好きな食べ物カレーライス、サバ味噌、チキン南蛮、甘酒
スポーツ野球、ハンドボール、バレーボール
学歴草加市立新田小学校
草加市立新田中学校
県立春日部高等学校
筑波大学 第2学群 比較文化学類
筑波大学大学院 地域研究研究科 日本研究コース
職歴越谷市役所14年(都市計画、開発許可、農業振興、商工業・伝統工芸振興)
資格学芸員
宅地建物取引主任者試験合格
食と農検定1級
食生活アドバイザー2級
神社検定2級
日商簿記検定3級