「善い地域」づくりのキーワードは「当事者意識」

本書の著者である牧野氏は、長野県飯田市の現役の市長。
行政トップならではの広い視野から、「善い地域」づくりについての考えが述べられています。

本書には「当事者意識」という言葉が無数に登場します。
つまり、それだけ著者が当事者意識を重要だと思っているということでしょう。

これには私も心から賛同です。
まちづくりや地域の活性化には何よりも、この当事者意識が最も重要だと思います。
私がよく使う言葉でいえば「ジブンゴト」であるということです。

なぜかというと、当事者意識を持っていない、つまりジブンゴトになっていないと、必ず「人任せ」になり、悪い状況になったことを「人のせい」にするという状況が生まれてしまうからです。
あるいは、もっと良くないのは、まちで起こっている状況に「無関心」になってしまうことです。ジブンゴトの反対語は「他人事」であり、「無関心」なのです。

まちづくりや地域の活性化の取り組みがうまくいくかどうかは、当事者意識を持つ人がどれだけいるか、いかにジブンゴトとして関われるかにかかっていると私は考えます。
また、これまで私が経験したり、見聞きしてきたまちづくりの事例では、必ずといっていいほど、当事者意識やジブンゴトという言葉がキーワードとして登場します。

まちづくりにおいて、当事者意識は最も重要な要素であるといえるのではないかと思います。

また、私が本書の中でもう一つ共感したのは、「地育力による人づくり」です。
これは、教育とは、単に学力を身に付けたり、社会の課題解決をする力を身に付けたりするだけではなく、地域における「人材サイクル」を実現するための政策として考えるべきであるということです。

牧野さんは、これを達成するための要素として、次の3点を挙げています。

①帰ってきて働くことのできる「産業」をつくる
②帰ってきたいと考えるような「人」を育む
③帰ってくることのできる環境・「まち」をつくる

これらのことから、地域で育った子どもが地域外に出ることを前提としていること、そして、地域外に出た人が地域に帰ってくるためにやらなければならないことが明確に読み取れます。

地域の外に出た人が「帰りたい」と思うには、前提として、地域のことが好きであることが必要だと思います。
地域のことが嫌いだったり、嫌な思い出があったりしたら、帰りたいなんて思わないからです。

でもそれには地域のことを知るだけでは不十分です。
もちろん郷土教育などで地域のことを知ることは必要ですが、本当に自分の地域の独自性を知るには、「地域の外に出る」ことが絶対に必要だと思うのです。
地域の外に出て、他の地域も知ることで、自分の地域を相対化するモノサシを手に入れることができるのではないでしょうか。
そこではじめて自分の生まれ育った地域を客観的に評価でき、その独自性やすばらしさなどがわかり、誇りに思うのではないかと。

自分の故郷に対する誇り、いわば自地域肯定感は、そこに根付いている「自分」への肯定感、つまり自己肯定感にもつながります。
すると、必然的に地域への愛着を持ち、帰ることへの安心感を抱くことができるのではないか。

一方、地域の側は、安心して帰ってきたいと思えるような環境を守っていかなくてはなりませんし、実際に帰ってきた後は、生活することができるような基盤を整えていく必要があります。
これは何も帰ってくる前に100%整えておくということではなく、帰ってきた後に、イキイキと働き、幸せに生きていくための活動に取り組める雰囲気があるということです。

誰もが当事者意識をもって、自分たちのことは自分たちで動いて解決するという熱量がある。
新しいチャレンジを受け入れ、よそからの変化に排他的にならない寛容性がある。
自分の居場所と思えるようなコミュニティがある。
自分の役割が見つかる関わりしろがある。

そんな空気感が地域にあると、いつでも地域の外に飛び出し、安心して帰ってこられるのではないかと感じました。
とはいえ、地域にはいろんな人がいて、いろんな考えがありますので、そうそう理想どおりには進まない、むしろ進まないことの方が多いでしょうが・・・。

とにもかくにも、当事者意識、帰ってきたいと思えるような地域づくりと地域での教育、自分の役割がある多様なコミュニティ、まちづくりに関わるものとして、これらを大事にしていきたいと改めて思うのでした。

本書のまとメモ

(↓ここから本書のまとメモ)

・人が当事者意識に目覚め他の人とつながり、地域社会を形成していく。自分に与えられた役割(仕事)を見つけ、自分の能力を発揮しそれが役に立つことを実感できる。そんな地域社会の規模は10万人程度ではないか

私と飯田

・高校を卒業した時、まさか自分が将来飯田に帰ってくるとは思いもしなかった。私は自分の地域のことを何も知らず、故郷での未来は人生計画の外に放り投げていた。・・・地域のことは幼い頃は学校で学んでいたが、学年が上がっていくにつれて日本全国のこと、世界のことに置き換わっていった。故郷のことは知らず知らずのうちに遠い存在になっていた

 ⇒ 学校教育の根本的な問題点が示唆されているのではないか。社会に出る基盤として、最も身近にある地域という社会をジブンゴトとして捉えられるような教育、特に地域と関係が深い(はずの)小中学校時の地域教育が重要ではないか

輝ける世界の10万都市を目指して

・(ドイツの都市では)過去からの遺産としての生活文化の拠点(インフラ)としてのまちが継承・維持されている

・地域の創造性とは、今まで誰も関連づけていなかったような人材をその地域独特のやり方、すなわち「地域の価値観」に基づいてつなげることである

・地域というものは、人が人として人間らしい生活をするところであり、人と人とがつながり相互に寛容で善い人間関係をつくりながら人生を送るところであるべきで、生きがいのある仕事を見つけ生活の糧を継続的に得られるところでなければならない

・人が普段から意識するのは自らの生活圏である。小さすぎるとライフスタイルの選択の幅が縮まる。大きすぎては職住接近の豊かな生活は選択できない。現代人が求める可処分所得と可処分時間を満足させる豊かな生活圏と重なるまちのサイズは人口10万人程度であり、これが最適規模と私は捉えている

・人口10万人程度の最適規模の都市においては、人間としての自己実現と地域の目的達成を一体化させることが可能である

 ⇒ 「自己実現」と「地域の目的達成の一体化」という2つの円の重なりが大きいほど、地域のことがジブンゴトとして感じられるのではないか
 ⇒ ときがわ町単独では人口約1万人。規模が小さい。しかし、ときがわ町を含む比企地域全体を一つの「まち」と考えると人口約13万人で、10万人程度の最適規模となる

飯田型まちづくりの実践

・飯田の人々にとって、公民館とは建物のことではない。人々は公民館を拠点にして学習・交流活動することを「公民館をやる(している)」と言う。それは自分たちの心であり自分たちによる活動のことである。自由を貴び自主的に自治を行う合言葉のようなものだ

・牧野市長の都市像「文化経済自立都市」
 → 「文化」とは「地域の価値観」。その地域の人たちは何を大切にして、何を誇りにしているのか。そうした地域の価値というのは、地域の多くの人々が知らず知らずのうちに共有している「地域らしさ」に見ることができる
 → 地域の核となる価値観を確立しているか(文化的自立)、経済が地域の中できちんと回っているか(経済的自立)の2つが揃って初めて地域の自立と言えるのではないか
 → 文化的自立なしに自立を謳う地域は、ビジネスモデルに依存し過ぎている
 → 文化的に自立していてもマネジメントの要素が不足しては持続的な地域たりえない

・地域経営において最も重要なのは、地域にしかるべきセーフティーネットが張られていること=福祉が地域という器の底をしっかりと覆っているか
 → そのためには強い産業が必要で、独自の地域福祉をやりたければ、産業振興をして、財源を確保する必要がある。地域福祉と産業振興はコインの裏と表の表裏一体

・地育力による人づくり=「人材サイクル」を実現するための教育政策
 ①帰ってきて働くことのできる「産業」をつくる
 ②帰ってきたいと考えるような「人」を育む
 ③帰ってくることのできる環境・「まち」をつくる

・保育園・幼稚園や小学校までは地域行事に参加するなど地域とつながりがあるが、中学校、高校と進むにつれて地域との関係は希薄になり、生まれ育った地域を十分理解しないまま進学・就職等で地域を離れてしまう。これが繰り返されていては、地域を担う人材は確保できない

・地域人とは「地域を愛し、理解し、貢献する人材」を指し、地域人教育とは、地域の課題を商業的に解決するコミュニティビジネスを志向するアントレプレナーシップを持った生徒を育てることを狙った教育活動である

・新しい価値創造のためには、異質人材の集団(=共創の場)を意識的に形成することが望ましい(事業構想大学院大学 清成学長)

円卓の地域主義

・すべては当事者意識から始まる
 → 共創の場、共創の時間は、共創の志から生じるものであり、その志の源泉は自分たちのことは自分たちでという当事者意識にある

・補完性の原理
 → 個の自立から発し、個の努力と創意を伴う人格の不可侵性を保証するもので、個にできないときにはじめてその実現を共同体に委ねることができるとする。当事者意識を強く求める。さらにこの共同体でもできないとき、初めて地域財政の主体たる公権力として地方行政が登場する

 ⇒ 行政に頼るのではなく、自分たちのことはまず自分たちでやるという当事者意識が重要

・「善い地域」であるための重要な要素としての「Quality of Life」
 → 生活の質、命の質、人生の質

・「善い地域」におけるQOC(Quality of Community)「コミュニティの質」
 → 人と人とがどのような関係を構築するかという関係性の質 

 ①主体的参画
  人々は様々な集団に参加しやすく、お互いの拘束性や監視性の高くない緩やかな結合と呼ばれる関係を構築する。こうした集団においては、皆が円卓を囲むように対等に議論を交わし、それに基づいて役割を分担しながら活動することができる
 ②自治性
  その集団自体が集団の目的を実現すべく持続的に運営する仕組み(セルフガバナンス)を持っており、個々人の当事者意識が高く、自主的に自立的に、そして自律的に、加えて持続可能的に運営されている
 ③価値観の共有
  時間と労量をかけても問題解決のためにコミュニティ内の合意を図り、総意を明確にする
  コミュニティの将来像を共有する

・「善い地域」における人々の3つの行動原理=「善いコミュニティ」「善い経済」「善い環境」

10万人規模の都市で生きるということ

・当地域(飯田市)では高校を卒業すると8割方地域を離れていきます。だからそれまでの間に、どれだけ地域のことを学んでもらえるかがすごく大事

・地域の歴史などを画一的な教科書で教えるのも重要ですが、一番身近な地域の話題をきっちりと学び取っていけば、たとえ場所が移っても、死ぬまで受け継がれていくものではないか。・・・小学生、中学生のときにしっかり地域教育をすることが思想形成上極めて重要

・東京にいる人たちの多くは、他の地域のことを観光の対照としてしか見ていないのではないでしょうか

 ⇒ 確かに!観光では、迎えられる・もてなされる「お客さん」になってしまう
   お客さんではなく、プレーヤーとして地域に関わってもらうには、地域にジブンゴトとして関われるような「関わりしろ」が必要

・東京の人間関係というのは、単なる利害関係者という要素が非常に強い

・(飯田では)みんなが平場で話しているから、社会的な肩書に流されず、自分が主役であるという意識が持てる。だから自分も参加しようと思える

・地域の歴史観や価値観を体得している市民企業家と、それをサポートしていくプロのコーディネーターが必要

・逆境の中でやるのは1人では無理。重要層的な人間関係をつくっていろんなところに根を張っていることが大事