晴耕雨読 橋本拓さん・容子さんを取材しました

2021年1月8日(金)、埼玉県内にある都心ではなくほどよい田舎感のある地域=トカイナカの魅力を発信するWEBマガジン『埼玉トカイナカ』の取材のため、ときがわ町で農業を営む「晴耕雨読」の橋本さん一家をご訪問しました。

※風間は『埼玉トカイナカ』で、ときがわ町に関するコラムを担当しています。
『埼玉トカイナカ』のWEB版は月刊、本誌は季刊です。
『埼玉トカイナカ』についてはこちら。

橋本さん一家は、2018年3月に神奈川県からときがわ町に移住してきました。
旦那さんの拓さんは農業、奥さんの容子さんはカウンセラーとして仕事をされています。
年が近いこともあり、妻ともども仲良くさせていただいています。

また、本が大好きなことも私や妻との共通点。
昨年も『ときがわカンパニー通信特別版』の取材で「本」について伺いましたが、今回は改めて「ときがわ町の魅力」や「しごと」についてお聞きしました。

橋本拓さん・容子さんへのインタビュー

「20年ぶりにときがわ町に来てみたら、まったく変わっていなかった」

――― (風)ときがわ町のほかにも何か所か候補地を見て回ったとお聞きしました。ときがわ町に移住した決め手は何だったのでしょうか?

 ときがわ町はなんといっても自然がいいです。特にこの風景にひかれました。ときがわ町の7割は森林で針葉樹が多いのですが、このあたりは針葉樹林が多すぎず季節感があります。

長野県、千葉県なども見に行ったんですが、なかなか騒音のない静かな場所は意外に少ないんです。田舎の谷間にあるような村にも行ったのですが、遠くの高速道路の音が意外なほどに響く(笑)
 このあたりは車の通りも少なく静かで、「住みたい」と思いました。

 また、私は農業をしたくて移住先を探していたので、農業ができる地域というのもポイントでした。長野県あたりだと山の方が多くて寒さや雪で農業ができる期間が短いんです。農家は冬場はみんなアルバイトをしていました。
 私は1年を通じて農業をしたかったので、ときがわ町の環境は「ちょうどいい田舎」だったんです。近隣に比べて農地が借りやすかったのもあります。

――― そもそもときがわ町を知ったきっかけは何だったのでしょう?

 長野県の移住イベントに参加したときの写真が『TURNS』という雑誌に載ることになったんです。その号を買ったら、たまたまときがわ町で農家民宿をしている「楽屋(らくや)」の金子さんの記事が載っていて。農業をされていて、しかも移住の相談までできる。「これだ!」と思ってすぐに連絡をしました。

――― で、来てみたら気に入ってしまったと?

 そうですね。
 実は私は東松山市内にある大東文化大学に通っていましたので、自転車で何度かときがわ町には来たことがあったんです。そのときはただ通過しただけでしたが。
 それで20年ぶりくらいにときがわ町に来たら・・・その頃と何も変わってなかった(笑)

 ベッドタウンにはなれなかった町ですが、逆にそれが私にとってはいろいろな意味で可能性が大きいと感じました。都心に行くのは少し不便ですが、農業をやるには困りません。
 風景が良く、静かだったので妻も賛成してくれ、ときがわ町に決めました。

「生活と仕事を一致させたい」

――― そもそも、なぜ「農業」だったのでしょう?

 もともと食べることが好きで、「食」には関心がありました。食事は1日3食を365日、何十年も続く、人生で何万回も繰り返す行為です。人間の体は食べたものからできています。

 そんな大事なものなのに、私たちは普段はあまりに気を遣っていません。食べる時間や食材、かける手間、手に入れ方、食べ方まで。それを農業をきっかけに見直したいし、見直してもらいたいという想いがありました。

 そう思うようになったのは、会社員時代に忙しくて、昼食をかっこむように食べていたことや気の合わない人とも一緒に食事をしなければならないことが多々あり、食事が楽しくなく、もったいないと感じたからです。
 もともと食べることが好きでしたので、食が疎かになっていたことで、「もっと食を大事にしたい!」と強く思うようになりました。

――― もっと「食べる」という行為を大事にしたいと思ったということですね。それでなぜ農業に?

 当時は自宅と職場との往復に2時間以上かかっており、生活と仕事にギャップがあったために、食が疎かにならざるをえなかったのだと思いました。
 朝も早くて夜も帰りが遅かったので、子どもと起きて顔を合わせられるのは週末しかないという生活でした。
 仕事自体は嫌いではなかったのですが、なおさらその状況が苦しかったです。
 それで「もっと生活を大切にしたい」「生活と仕事を一致させたい」と思ったんです。

 実は会社員時代から市民農園を借りて家庭菜園をやっていたんです。5年間。

――― 5年間もですか!? すごい!

 それが楽しくて。
 「土に触れる仕事がしたい」「自分で食べ物をつくりたい」と思うようになりました。
 アスファルトではなく、文字どおり、「地に足がついた生活」をしたかったんです(笑)

 ちょうど当時は農業に関心が向けられていた時期で、脱サラ農業ブームのような流れがありました。ビジネス系雑誌で特集されていたのを見て、「いいな」と思いました。
 それで家庭菜園と並行して、関東圏を中心に脱サラして農家を始めた方を訪問するようになりました。10軒以上は回ったでしょうか。

――― それだけの行動に移せる行動力はすごいですね!

 最初に訪問したのは、「仕事旅行」というサービスを利用して行った千葉県の脱サラ農家さんでした。その方がまたすばらしい人だった!
 それでますます農業にのめり込んでいきましたね。

――― すばらしい出会いでしたね!

 はい。本当に。
 それからいろんな農家さんを回って、「移住して農業をやろう」と決めました。
 就農に備えて、退職してから1年間の農業研修も受けました。
 生活と仕事を一致させるには、農業はぴったりです!
 

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 生活と仕事のギャップに悩み、それらを一致させるために「農業」、そして「移住」を選択した橋本さん。
 移住先探しは拓さんが主導していたということですが、一方の容子さんはどのような想いでいたのでしょうか?
 気になる続きは次回。