ときがわ町でしごとをつくる人インタビュー第2弾

ようやく第2弾にこぎつけました。
なかなかきっかけがないと難しいものですね・・・。

今回のインタビューのお相手は、ときがわ町の田中交差点近くでセブンイレブンを営む岡野正一さん
今回も魅力的な話者から、興味深いお話を聴くことができました!

岡野さん、ありがとうございました!

第1弾の晴耕雨読・橋本さんのインタビュー記事はこちら(第1回第2回第3回)。

岡野正一さんへのインタビュー①

「お芝居」から「商売」へ

―― 岡野さんご自身について、セブンイレブンを営んでいるという知識くらいしかないのですが、これまでの経歴を教えていただけますか?

岡野家は代々田中地区で商いをしている家系で、その屋号も「田中屋」といいます。
これまでいくつも業態を変えながらも、ずっと商いを営んできました。
その時々の状況や地域の住民の要望、時代の変化などに合わせて、酒屋やうどん屋などをやっていた時期もあります。
現在も、母と妹が田中交差点の一角でギフトショップ「サラダ館」を営んでいます。

セブンイレブンに関しては、所有する土地に父親がコンビニエンスストアをつくろうとしていたときに、たまたま自分がときがわ町に戻ってきたので、その事業を担うことになりました。
それが2013年頃です。

地元の人からすれば、私がセブンイレブンを営んでいるというよりは、「田中屋がセブンイレブンも営んでいる」というような感覚だと思います。

―― 地区の顔役的な家柄なんですね。岡野さんはそれまでは何をされていたのでしょうか?

それまではお芝居をやっていました。
というより今でも劇団や芸能事務所に所属しています。

―― え!役者さんなんですか!

そうなんです。
ここ2年くらいは映像関係の仕事はしていませんが、役者としてオーデイションを受けて役者として出演したこともありますし、裏方としては劇作家や演出助手もやったりしていました。

所属しているのは、「tsumazuki no ishi(主宰 寺十 吾(じつなし さとる))」という劇団と「サムライプロモーション」という芸能事務所です。
劇団では、役者としての出演のほか、演出助手や制作に携わっています。
その前には仲間と自分たちで小さな劇団をつくって、役者、演出、劇作家としても活動していたことがあります。
芸能事務所の仕事としては、CMやドラマなどの映像関係ですね。
こちらも今も所属しているので、続けているといえば続けています。

もともと高校からお芝居をはじめたのですが、大学卒業後はフリーターでバイトをしながらお芝居をやっていました。
30歳を過ぎて、このままじゃさすがにまずいなと思い、芸能事務所に入ってスポット的な映像関係の仕事をするようになりました。

一番頑張っていた時期で、年間400本くらいの書類を作って、その6分の1くらいはオーディションに進んで、その10分の1くらいが仕事になるという感じです。
役者と演出助手の仕事を含めると、これまで50本以上の作品に関わっています。

―― なぜときがわ町に戻ってきたんでしょう?

単純にいうと、お芝居を続けるためです

―― といいますと?

30歳を過ぎてから、劇団でお芝居をする傍ら、芸能事務所でスポット的な仕事をする生活を3、4年続けていましたが、それだけでは貧乏に限界が来たんですね。

演出助手に専念してそれだけやっていたのなら、いずれたぶんそれでメシを食えるようにはなっていたと思います。
でもそれじゃなんとなくイヤだったんです。

―― なぜでしょうか?

演出助手の仕事ってADさんの舞台版のようなもので、本当にお芝居に関わるありとあらゆることをやるんです。
お芝居の制作や作品としての演出はもちろん、お芝居ができる過程での演出変更があった際の関係者の調整、その調整の場をつくるための調整とか。
とにかく関係者同士のハブになって、動き回らないと務まりません。

言ってみれば、ずっと文化祭をつくっているような感じです笑

仕事そのものはおもしろかったのですが、反面、自分本位にはできないという葛藤がありました。
続けていれば食えるようにはなるかもしれないけど、その道を究めていこうとは思いませんでした。

ただ、もしかすると、本音では演出助手でも食べていけるようになるとは思わなかったのかもなあ。

―― それでときがわ町に戻ってコンビニをやることにしたんですね。

それで今までやってきた役者と演出助手、お芝居と芸能事務所の仕事というこれまでの生活を変えないために、生計を立てる手段が欲しかった。

コンビニで生計を立てれば、演劇の仕事は続けられます。
コンビニを始めてからも、芸能事務所から紹介されたオーディションは積極的に受けていて、多い時は週1、2回はオーディションを受けるために東京に行っていました笑

だいたい3、4年くらいそういう生活が続いたでしょうか。
そのうちにだんだん気持ちが変わっていったんです。

コンビニで気づいた「社会の歪み」

―― どんなふうに変わっていったのでしょうか?

コンビニを営む中でときがわ町の人に関わるようになって感じたのは、「社会の不平等」とか「社会の歪み」のようなものです。

一番ショックだったのは、その歪みとか大人の都合のせいで、弱い立場に陥っている子どもたちが、こんな小さな町にもこんなにたくさんいるんだという現実でした。
僕はそこで初めて「ネグレクト」という言葉を知りました。

単なる貧困ではなく、家が貧乏というわけではないのに親は好きなことをしていて、子どもはほったらかしで自分でお金を稼がないと食べることもままならないような子どもたちもいたんです。
そういう子たちは、経済格差とか社会が抱えているような課題が表出した姿だと思いました。

そこに手を突っ込み始めたんです。

―― それはなぜでしょう?

うちのような小売りは、みんなが安定した状態で、安定した生活を送っていないと成り立たない商売です。
たとえば精神的なバランスを欠いていると遅刻をしたり、シフトなのに来なかったり。

その人たちが精神的にも物質的にも安定していて、安心して生活している中で、仕事としてうちを選んで生きているという状態をつくることが理想です
それによって、自分が安定して生活できる状態になると思いました。

―― 他者に安定していてもらうことが、自分の生活を安定させることになるということですか?

端的にいうと、スタッフが安定して働ける職場をつくることができれば、急な連絡が来なることもなくなり、自分も休みが取れます。
オーディションや演劇の仕事を続けるには、急な連絡やシフトに入らないといけない状況は困りますので笑

それで、周りにある歪みとか凹みのようなものを、自分が今持っているツールとかできることで支えることができれば、自分の生活が安定するのではないかということを考えるようになりました。

―― そこから一番難しい「人」の問題に関わりはじめたんですね。

(次回へ続く)