ときがわ町でしごとをつくる人インタビュー第2弾

今回のインタビューのお相手は、ときがわ町の田中交差点近くでセブンイレブンを営む岡野正一さん

前回は、役者や演出助手として芝居や映像の仕事から、現在のコンビニエンスストアでの事業を営むまでの経緯についてお聞きしてきました。
今回は、コンビニ事業を通じて感じた「社会の歪み」に対して、岡野さんがどのように関わってきたのかについてお聞きします。

前回記事はこちら

第1弾の晴耕雨読・橋本拓さん・容子さんのインタビュー記事はこちら(第1回第2回第3回

岡野さんへのインタビュー②

「レイキモッキ」に込められた想い

―― 話は変わりますが、会社の事務所というお話がありましたが、岡野さんご自身で会社を経営されているんでしょうか?

そうです。

―― セブンイレブンを始めた時に法人をつくった?

いえ、最初は個人でしたが、しばらく経ってから法人化しました。

株式会社レイキモッキという法人です。

―― 「レイキモッキ」とは変わった名前ですね。

レイキモッキというのはフィンランド語で「小さい家」を指します。
フィンランドだと自宅の庭にままごとをするような小さい家を建てて、子どもたちが疑似体験的に遊ぶようなところをつくるんです。

なんでその言葉にしようとしたのかははっきり覚えていませんが、社会の歪みの影響を受けている子どもたちが社会に出ていくための場所にしたいと思ったのかもしれません。

―― どんな想いから、そのようなことに関わろうと思ったのでしょうか?

困りごとを抱えている子たちと接するにつれて、やむをえない事情という場合もありますが、多くは大人(親)の都合というなんとも理不尽な理由で翻弄されて、そこから抜け出す方法も見出せず、ただ耐えている、あるいは時間が過ぎるのを待っているという子が多いということを知りました。

目の前でそうした理不尽がまかりとおっていることが、単純に「許せない」と思ったんです。
困っている子がいたら、「その子に対して、何かお手伝いできることはないか?」「自分が仕事を通じてその子にできることはないか」ということを考えています。

「とことん面倒を見る」

―― 今はどのくらいの方が働いているんでしょうか?

全部で25人くらいです。
社員が3人で、アルバイト・パートが22人だったかな。
アルバイトは大学生が多くて、高校生が1人います。

目標としては、非正規ではなく固定給での雇用を増やして、安定して仕事をしてもらいたいという気持ちが大きいです。

―― 働く場所があるというのは町にとっても大きいですよね。

ときがわ町全体で、中学校の1学年の人数が40~50人くらいで、どんどん減っています。
彼らが就労する場所として選んでくれるような場をつくらないと、うちみたいな会社は成り立ちません。
そういう意味で、なるべく「自分たちに関わるとおもしろいよ」という彼らにとって価値のある場にしていきたいと考えています。

そのために、自分が考えつく限りのあらゆることをやっています。

―― たとえばどんなことをされているのでしょう?

極点に言うと「とことん面倒を見る」ということです。

―― とことん面倒を見る・・・。なんだかすごいことをされていそうです。

生徒とか子どもとかじゃなくて、対「人」としてナナメの関係が大事だと思っていて、その中で求められること、できることは何でもやります。

―― 何でもですか。

何でもです。
たとえば、就職の相談とか、家族の相談とか。
いろんな悩みがあるかと思いますが、安定した生活を送ってもらうためにやれることは全部やります。
必要があれば福祉事務所に行ったり、行政書士さんに相談したり。
その子のために今できることは何かを考えて自分にできることをやっています。

情けは人のためならず

―― トラブルに巻き込まれるようなことはないのでしょうか?

すごく痛い目を見ることもあります。
むしろそういうことの方が多いです笑

でも痛い目を見たからこそ、どういう距離感が必要かなど、分かってきたこともあります。
相手が求めていることと、自分たちができること、社会的な隔たりでどうしてもできないことなど、今も手探りですが一つずつ手応えというか、実感が積み重なってきています。

―― うまくいくことの方が少ないのに、それでもやるのはなぜなんでしょう?

今の社会はすごくややこしいです。
この仕事を始める前に私が経験した貧乏は、自分が選んだ「貧乏」です。
親の資金援助や庇護がある中で、自分でこのままじゃヤバイと思うまで好きなことをさせてもらったと思っています。

でもそれができない子たちが目の前にこんなにいる。
この子たちの貧乏は、自分で選んだ貧乏ではなくて、やむをえない家庭の事情や親の都合によって、子どもが追い込まれた状況としての環境要因からくる「貧困」なんです。

もしかしたら、そういう子たちを目の前にして手を出さずにいられないのは家系の血筋というか流儀なのかもしれません。
目の前に困った人がいたら放っておかないという。

―― 岡野家の血筋ということでしょうか? 小さい頃からそのようなことを教わってきたのでしょうか?

いえ、特に直接そんな話をされてきたわけではありません。
たぶん小さい頃から商売をやっている祖父母や両親の姿を身近で見てきて、なんとなく身に沁みついているんだと思います。

岡野家は、小売という形態は変わりませんが、業態は時代や地域の人の置かれた状況に合わせて変化させてきました。
どんな商売もそうかもしれませんが、小売はお客さんがあってこそ成り立つ仕事です。
地元の人が、その人らしくずっとそこで生きていられないと、僕たちは共倒れしてしまうという感覚が根っこにはあるんだと思います。

―― 人を助けることは、ひいては自分たちのためでもあるんですね。

ただ人を助けるというのは、ある程度、時間とか金銭とか余裕があるからこそできることです。
だからこそ、曲がりなりにも、ときがわ町で商売で成り立っている岡野家の人間として、やる必要があるんだと思っています。

「じゃあ俺が出す」と言いたい

―― これからどんなふうにそういう子たちに関わっていきたいと思いますか?

先ほども言いましたが、自分が選んだ貧乏は自分が我慢すればいい。
僕が何とかしたいと思っているのは、自分で選んだわけでもないし、好きなことをやっているわけでもないのに「そうなってしまっている貧困」です。
中には、親が自分が遊ぶためにお金を使ってしまって、修学旅行に行けないというような子もいます。

一番多感な時期に、友だちと一緒に修学旅行に行けないことによって思い出とか体験とかが失われて、得られるものは絶望だけです。
それでその先、50年も60年も生きていかないといけない。
人生の転換点になるのならば、10万円くらいのお金を払えばいいのなら、「じゃあ俺が出す」と言いたいくらいです。

親の都合で振り回されている子どもがこんなにもいるということを見過ごせないんです。

「行く場所がないのなら用意するから住んでみたら?」
「こんな仕事があるからやってみたら?」

社会的に「弱者」と言われているような人たちに対して、そう言えるような止まり木のような場所をつくっていきたいです。
それで自分で何とかできるようになったら、自分で好きにやっていけばいいんだと思います。

―― 実際にそういう子はいたんでしょうか?

一番印象に残っているのは、少し前に高校生で1年くらい学校に行っていないけど、アルバイトには来ているという子がいました。
アルバイトをしたり、いろいろ相談に乗ったりして環境を整えたら、3年生になったときに自分の力で持ち直して、無事に高校を卒業し、就職することができました。

その子にはすごく勇気をもらいました。
家族でも、学校でも、友だちでもない距離感というか、ナナメの関係。
「これだ!」と思いました。

―― 人によっていろいろな状況は違うと思うのですが、その人の状況によって必要な環境を整えるというのはすごく難しいように思えます。

悩みが一様でないように、関係も一律ではないですよね。
生活も背景も、置かれた環境も違います。
一律にはできない。

重要なのは、その子にとって適切な環境づくりを、自分ができるかどうかだと思っています。
なんでもかんでもをやることはできません。

―― それってすごく難しいことのような気がしますが。

でもおもしろいですよ!
その環境をつくるために周りの人にも助けてもらうことで、自分ももちろんですが、その子だけでなく周りも成長できるんですよね。

(次回に続く)