町田屋旅館・STSによる「慈光茶」復活プロジェクト

2022年6月4日(土)、ときがわ町の名刹・慈光寺での「慈光茶」摘み体験と、お茶づくり体験イベントに参加しました。

主催はときがわ町の老舗旅館「町田屋」さんと、狭山茶による地域活性化に取り組むSAYAMA TEA STYLE(STS)さんチーム。

前回の町田屋さん主催の慈光寺勉強会(詳細はこちら)で、最も印象深かったものの一つがこの「慈光茶」のお話でした。

慈光寺のお茶は、遣唐使が中国から持ち帰ったもので、当時関東における天台宗の一大拠点であった慈光寺周辺で盛んに栽培されていました。

そして河越茶とともに埼玉県の特産品でもある狭山茶の起源となったお茶でもあるそうです。

室町時代の永正4(1507)年の『旅宿問答』に、武蔵国の銘茶として「慈光寺茶」が登場しており、知られた存在だったようです。
その後1500年代半ばころに、小田原の後北条氏による慈光寺の焼き討ちにより、生産が途絶えてしまいました。

しかし産業としては途絶えてしまいましたが、お茶の木が慈光寺の敷地内に残存しているのが発見され、今回約470年ぶりの復活を遂げたのです。

今回のお茶摘み・お茶づくり体験は慈光茶復活プロジェクトの第1弾でした。

慈光寺に関する勉強会に参加したことがご縁で町田さんにお声かけいただき、その記念すべきイベントに参加することができました。

慈光寺にてお茶摘み体験

午前中は慈光寺境内にあるお茶畑にてお茶摘み。

「お茶畑」といいつつ、現状の慈光茶の木はまったくといっていいほど管理されていない状態。
そのため普段見かけるお茶の木と違い、大人の背丈ほどもあり、枝葉も生い茂っていました。

またお茶摘みには時期が少し遅かったこともあり、茂みをかきわけるようにしてお茶摘みを行いました。

「一芯二葉」が本来の形ですが、葉がやわらかければ大きくてもいいそうです。

狭山茶をはじめ今の日本のお茶は、中国からもたらされたお茶をもとに品種改良を重ねてきたものだそうで、背丈が低く、機械で収穫しやすくなっています。
それに対して慈光茶は、遣唐使が中国から持ち帰ったままの原種だそうで、木の背丈も葉の大きさも、今の日本のお茶の2倍以上だといいます。

製茶の段階で嵩が生葉の5分の1ほどになってしまうということで、一生懸命に葉を摘んでいきます。
この日は天気も良かったため、皆さん汗だくになりながらお茶摘みを行なっていました。

私は「一芯二葉」に気をとられすぎて量が少なめ。
ちょっと悔しいです・・・。

お茶づくり

午後は一ト市(ひといち)コミュニティセンターに場所を移してお茶づくり。

なんと電子レンジを使いつつ、手で転がしたり、揉んだりしながらお茶の葉の水分を徹底的に絞り出していきます。

これがなかなかの重労働。
特に葉の量が多かった方は大変な様子です(そういう意味では少なくてよかった)。
なかなか水分が抜けて撚りがかからず、額に汗を浮かべて作業している方もいました。

ただ丁寧にやればやるほど、出来上がりの色も鮮やかに、針のように細いお茶ができるようです。
プロの方も驚くほどきれいなお茶に仕上がった方もいました。

私はというと、量が少なすぎたこともあって手で作業する時間が短くなり、やや不格好な仕上がり。
個人的にはもう少し手で転がしたり、揉んだりする作業を楽しみたかったのです。

でもこれも手づくりならではの「味」なんでしょうね!

暑い中、汗をかきながら働いた後の熱いお茶の味はまさに格別!
驚くほど苦みがなく、お茶の甘さが際立っていました。

参加者一同、慈光茶のすばらしさを堪能できました。

ちなみに作業中にいただいたSTSの狭山の和紅茶も、砂糖が入っているのではないかと思うほど甘みがあり、渋みも雑味もなくて、めちゃくちゃおいしかったです!
「〇後ティーより断然うまい!」と評している方もいました笑

遣唐使が中国から持ち帰り、慈光寺で栽培されていた「慈光茶」。
このストーリーはどこもマネすることはできません。

イベントに参加していた渡邉町長がおっしゃっていましたが、これはときがわ町のまさに「宝」だと思います。

町田さんは、小中学生向けにも体験が提供できないかと今後のプロジェクトの展開に意欲を燃やしていました。

慈光寺の歴史を学び、慈光茶という「宝」を探り当てた町田さんを心から尊敬です。
自らも汗をかきながら、楽しそうに作業している姿が印象に残りました。

町田さん、慈光茶の復活おめでとうございます!
そしてすばらしい体験をありがとうございました!

終了後、ときがわ社中メンバーあてにそれぞれ町田さんから熱いメッセージも頂戴しました。
ときがわ社中としても、慈光茶プロジェクトを後押ししていければと思います。

今後のプロジェクトが楽しみです!