「地域づくり」とは?

著者の下の名前は「としみち」と読むそうです。
見たことのない珍しい漢字ですね。

まちを元気にする取り組みに関しては、「まちづくり」をはじめ、「まちおこし」「地域活性化」「地方創生」などいろいろな表現がありますが、著者は「地域づくり」という言葉を採用しています。

著者のいう地域づくりとは、「時代にふさわしい新しい価値を地域から内発的につくり出し、地域に上乗せしていく作業」のことです。

本書が発行されたのは2007年ですが、この定義は今の時代にこそ合っている気がします。
なぜかというと、新型コロナの影響でリモートワークが広がったり、インターネットがこれだけ普及した現代では、都市に住むことの必然性のようなものが薄まって、地方圏の発信力の高まりとともに、相対的に地方の価値を見つけやすくなっているからです。

それには地域の中からの情報発信や情報編集が前提となっています。
私が日頃お世話になっているときがわ町の渡邉町長も、「内発的発展」という地域の内側からの発展をことあるごとに口にしています。

外から人を呼ぶことも大事ですが、何より地域の人が自分の地域のことを知り、楽しみ、価値を創造していくことが、「地域の発展」のためには大切なのではないかと思います。

では次に「地域の発展」とは何かについて考えてみたいと思います。

「地域の発展」とは何か?

果たして「地域の発展」とは何でしょうか?

このことについて、本書では、次のように述べられています。

人口が減っていても、その地域の土地や資源や場が以前とは違った発展的な方向で活用され、それにかかわる人たちの一人あたりの生産力が増えているならば、それは発展的状況と考えるべきである。いいかえれば、これはむしろ少ない人口によって、土地や資源、大げさに言うと空間の使い方を発展させるということでもある。
 この考え方こそ、人が集まることによって更なる経済発展をつくり出す都市とは違った、もう一つの地域発展の方向性である

出典:『新・地域を活かす』

人口の増加という画一的な指標ではなく、ほかにも地域発展の方向性があるということですね。
小都市には小都市の、農村には農村の価値があるとも書かれており、その点に関しては大いに賛成です。

ただ、「一人当たりの生産力が増えているならば」とか「もう一つの地域発展の方向性である」という部分にはひっかかるものがありました。

なぜ「生産力が増えている必要があるのか」「そもそもここでいう生産力とは何のことか」もそうですが、地域発展の方向性が「もう一つ」しかないと読めることに首をかしげてしまったのです。

私は「もう一つの地域発展の方向性」という決めつけも不要ではないかと考えています。

私は拙著『地域でしごと まちづくり試論』の中で、「まちづくりの成功とは何か?」という似たような問いを考えてみたことがあります。
私が考える「まちづくりの成功」とは次のようなものでした。

まちづくりの成功とは、「まちをつくる人たちが幸せになること」であり、それには唯一絶対の正解はないというのが私の考えだ。どういうことかというと、幸せの形は人ごとに違うし、まちごとによっても、同じ人・同じまちでもその時その時の時代によっても何が幸せかは異なるし、決してその形は一つではありえないということである。

地域ごとに発展の形はあっていいし、さらに言うならば、そこに生きる一人ひとりにとっての「発展=幸せ」の形があるのではないかと。

「理想論」「逃げ」と言われてしまえばそれまでかもしれませんが、現に今のように個人のライフスタイルや働き方が多様化し、インターネットをはじめとするツールが充実している時代においては決して夢物語ではないのではないかと思います。

少なくとも、それを目指して動くことはできるはずです。
まちが一人ひとりの人の営みから成るものであれば、地域にいる人が主体的に自分の幸せに向かって活動することで、よりダイバーシティーとダイナミクスに富んだまちの発展の可能性があっていいというのが私の考えです。

簡単に言えば決めつけなんていらないよ、ということですね。

正解がないからこそ、自分で自分の正解(=納得解)をつくるという主体性が大事なんだと思います。
簡単なようで難しい、でも実は誰にでも一歩を踏み出せる。

そのへんの複雑さと柔軟さがまちづくり(本書では「地域づくり」ですが)のおもしろいところなんですねー。

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以下は本書のまとメモです。
気になるところを抜粋しています。

まとメモ

地域という概念をどう理解すればよいか

・「地域」とは、「何らかの理由で他から区別される地表面の広がり(area)」である。・・・他から区別される理由によってはいかなる大きさの地域も存在するし、また設定し得る。重要なのはその理由であり、また結果としての地域の大きさである

・均質地域と機能地域
 均質地域・・・同じ要素ないしは状況が空間的に連続していてまわりから区別できる広がりを一つの地域として取り出したもの
 機能地域・・・都道府県や市町村のように、法制度に基づく機能的作用が及ぶ範囲として他から区別される地域

日本はどのような地域からなっているか

・日本の山々には樹木がしっかりと生えている。これは暖かい時期にもかなりの雨が降るという自然条件によっているのはもちろんであるが、そこに樹木がたっぷりと残されてきたのは、直接的には日本人の土地の使い方の結果に他ならない。
 ・・・低地での水田造成が可能だった土地では、背後の山が直接のうちにされないであくまで補完的に利用され、村人がみんなでおおらかに使う入会地となってきた

⇒ ヨーロッパの畑作中心の地域や夏に雨の降らない地中海地方では、食糧生産のために山を直接使ってきた

経済成長期を経て地域はどう再編成されたか

・分化し歩んできた各地域であるが、地方圏の各地域のこれまでの歩みは、大都市を中心とする都市が成長拡大する中で、それとどうかかわるかに規定されてきた観がある

・「地域づくり」とは、「時代にふさわしい新しい価値を地域から内発的につくり出し、地域に上乗せしていく作業」

・都市は都市であることに価値があり、農村は農村であることに、山村は山村であることに価値があるはずである。しかし、高度成長期以降、わが国の各地域は、単純な意味での人口や、大きな都市との関係だけで地域を考えてきた。地域の価値を、人口や都市までの時間という単純な数値で決めつけてしまったのである

地域づくりの意味を問う

・重要なことは、中央からの画一的な政策に合わせて地域を整えていく手法に対して、地域をしっかり見つめ、地域の特徴を活かして、地域発の作業によって、よりすばらしい状況をつくっていくことの価値が、多くの人に理解されるようになったこと

・人口減少地域にあっては、何かうまく運ばないことがあると、その原因を、安易に人口減少に結びつけてしまうことが、まかり通る。そして、「人が多ければこんなことができるのに」という発想が生まれやすい。これは「ないものねだり」に過ぎず、よい結果を何も生まないことは明らかである。・・・人口が減少することを前提に、生活水準の高くなった現代にふさわしい地域社会のしくみをつくり出す努力をせざるを得ない。住民が生きているという実感を持てる地域社会の実現が、産業の育成と並んで大きな地域づくりの柱である

地方社会の新しい展開のために

・今までにない発展のしくみをつくるヒントは、自分の属する地域や系統を考えることだけからは生まれない。そのヒントは異質の系統の中にこそ潜んでいる。したがって、異質の系統との行き来や交渉すなわち交流が、新しい発展には不可欠ということになる

地域振興と人材育成

・地域の違いを価値に育てることができれば、農山村は都市ではないことが、小都市は大都市ではないことが価値になるはずである。そしてその価値を経済的な価値につくり替えるのは、地域の持つ資源・空間を使いこなす人の力である

社会論的豊かさの創造に向けて

・ヨーロッパでも、農村風景の美しさは都会人によって発見されたという。かつての農村の人たちは自分たちのまわりの風景を美しいという感覚では見ていなかったが、セザンヌやミレーなどが美しい自然に包まれた農村風景を描き、それが都市の人々に語られるようになって初めて、風景を美しいと感じる見方が農村の人にも備わったのだという

現行過疎法への流れと過疎地域活性化のための基本的考え方

・過疎地域は単に劣っている地域と考えるべきではない。経済成長期に始まる都市化一辺倒の時代に、活用されないできた空間に過ぎない

多自然居住地域の創造とは何だったか

・人口が増えない地域の側は、人口を回復するとか、人口減少に歯止めをかけるというような、都市化=人口増加という図式から離れて、それとは別のタイプの発展をつくり出すことを考えるべきではないか。これらの地域は、従来のような産業規模の拡大や人口増加と言った、量的な増大とは別の原理にのっとった発展の方向を考えださなければならない

・人口が減っていても、その地域の土地や資源や場が以前とは違った発展的な方向で活用され、それにかかわる人たちの一人あたりの生産力が増えているならば、それは発展的状況と考えるべきである。いいかえれば、これはむしろ少ない人口によって、土地や資源、大げさに言うと空間の使い方を発展させるということでもある。
 この考え方こそ、人が集まることによって更なる経済発展をつくり出す都市とは違った、もう一つの地域発展の方向性である

・オリジナルに土地・資源を活用する力があれば、人口減少は恐れることではない。大事なのは、自然から高いレベルの経済的成果を引き出すオリジナルな能力が育つことと、その能力に土地と資源を委ねる方向づけである

多自然居住地域における住まい方とスローライフ

・都市の大きさが問題になるのではなく、小さくても多様な職場があり、小さくても本格的なものを扱う店や料理屋さんが輝いていることに価値がある。小さい店であれば顧客が少なくても成り立つし、その個性が発揮できれば遠くからも客が来る。すでに相当の人口減少をみている小都市や農山村において、人口増加というお題目を唱えることをやめ、身近なところで本格的なものをつくり、それを扱う持続的な職場をつくる人を、育てたり呼んだりする努力こそ肝要である。大事なのはワザ師の存在である

農山村地域の再生のために

・農山村の側が、単に人口を増やそうとするのではなく、少数の、強い意志を持って農山村の望ましい空間経営を実現しようとする人を育て、そのような人たちが地域の担い手になっていくことが不可欠であろう

・農山村を再生するには、少ない人口でいかに空間をうまく使うかという考えを出発点にする必要がある

あくまでも地域オリジナルを

・個性をつくるということは、奇をてらうことではない。地域はもともと同じではなく、さまざまな要素(資源)と人の組み合わせを持つ。この要素の中から育てる価値のあるネタ(シーズ)を見つけ、地域の人の内発的な参加でそれを育て、その使い方を磨き上げる。使い方を磨き上げるということは、人のワザが育つということである。人が育ち、資源と一体化した関係が生まれるとき、それが画一的なものになる道理がない。必然的に個性が生まれると思う