まなびしごとLABの風間です。
こんにちは!

2026年2月24日(火)、東京ミッドタウン・デザインハブで開催中の企画展「公民館とデザインは、なにを夢みたのか?」を観覧しました。

「公民館」や「社会教育」というキーワードについて考えさせられる展示でした。

キタサカまちづくり部での活動や北坂戸団地商店街の空き店舗活用プロジェクトは、まさに公民館的な場づくり、社会教育的な要素を持つ取り組みなのではないかと感じました。

もともと地域教育ということを一つの柱に据えてきたので、自分がやってきたことの振り返りや社会教育という概念に関する理解をアップデートする機会になりました。

非常に興味深い展示だったので、備忘録としてまとめました。

「公民館とデザインは、なにを夢みたのか?」観覧レポート

パネル展示には、現代における、あるいはこれからの時代の「社会教育」や「公民館」について書かれたものもあり、じっくりと噛み締めるように読みました。

いくつか印象に残った個所を書き出しておきます。

仮題「社会教育図説」をはじめてみる

林 剛史 氏

・若者たちの間でブームとなっている昭和レトロのように、社会教育の中にも現代の洗練されたモノとは異なる「懐かしさ」や「エモさ」が見出されているということなのかもしれない。

・タイパやコスパが常に求められ、いかに学びを効率的に個別最適化し、経済的価値に結び付く成果を達成するかという洗練された「学習観」に浸ってきた若者たちにとって、一見して無駄が多くてゆるい感じの、社会教育ならではの「つながり」を重視する学習観は、どこか懐かしさやエモさを醸し出すものがあり、昭和レトロに通じる魅力を感じられるのかもしれない(あくまで個人の直感です)

〇佐藤貴大 氏

・どうして「学校教育」の課題を「学校教育」の中で解決しようとするのですか? どうして従前からある地域のチカラ、「社会教育」のチカラを使おうと思わないのですか?

・一つの課題に、多くの方々が集まってみんなで知恵を絞り、実行に移す。このプロセスって、戦後脈々と続いてきた「社会教育」の実践者が、最も得意としている部分なのではないでしょうか? あるいは、こういったプロセスを企画し、みんなを巻き込み、みんなで車座になって喧々諤々、学びながら進んでいくのって、客観的に見れば「社会教育」そのものなのではないでしょうか?

南 信乃介

・「なにつながるかわからないけれど継続して一生懸命にその中の関係性をたのしむ」「自分だけでは満たされない最高の中になにかにつながるんだ」。実社会では、そんな出会いやきっかけは起こっていること。そして、社会教育はその確率を飛躍的に上げている。雑談から始まる「最高の何か」を保証し続ける教育が世界に一つくらいあっても面白い。 今、急速に求められている社会教育の力は、コミュニティの中で機能することだろう。

・結局、自分たちらしく実践する市民がいないと教育、福祉、防災などの行政施策も地域で活かされない。人の暮らしと動機に基づいた市民社会の捉えなおしの時代がきているのではないか。多様な価値観の人が実践して学んで変容できるコミュニティづくり。それってまさに社会教育ど真ん中。

〇西山 佳孝 氏

・社会教育が実現している状況が、とってもハッピーですべてがバラ色ではないけれど、生活は豊かなのかもしれません。 さらに、社会教育が実現している状況は、とても賞味期限が短く、実現させ続けなければならないという、大変なもの。

大里 みずき 氏

・自分(たち)で考え、人の話を聞き、仲間がふえ、議論し、自分たちの暮らしを地域で小さく実践しながら、自分たちの暮らしをどのように楽しくしていけるのか、それが地域にどうより良く結びついていくのかを考えて、また地域で実践する。 全ての実践が、1週間後、1年後、あるいはじわりと5年後、10年後の自分たちのリアルな暮らしに返ってくるという実感をもちながら、生きていく。 そして小さな範囲かもしれないが、自分や家族だけではない地域社会とつながっていることを感じられる。

・学びのための学びではなく、より良い暮らしのための学びであり、仕事のための仕事ではなく、より良い社会のための仕事をしたいと。

今やっていることを顧みてみると、本当に共感というか、そのとおりという気もするし、それだけじゃないという気もしてきます。

一方で、何かを達成するという目的というよりは、集まった人たちでよりよいものごとをつくっているプロセス自体に価値があるのではないかという確信も湧いてきました。

仮題「社会教育図説」

・「社会教育とは、学校教育法に基づき、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む)をいう。」(社会教育法第2条)

・その社会教育の目的とは何か。この問いに対する簡潔明瞭な回答はないだろう。 答えを難しくしているのは、そもそも社会教育は、その成果を求められる性質のものではないところにある。およそ「○○教育」は、それ受けると何ができるようになるのか、おおむね目指すべき成果が想定される。しかし、社会教育に求められるのは、教育を受けたことの成果よりもむしろ、学びの過程そのものなのだろう。

・もちろん、社会教育が範疇とするのは、公民館活動だけではなく、私たちの暮らしの全てであるため、裏返してみれば、私たちの何気な行動や活動が社会教育の実現につながる可能性も秘めているということかもしれない。

●集い続ける公民館

・社会教育をいい換えるならば、社会改良でありコミュニティデザインなのだといえる。

・、公民館という箱の中に人々が集まってくることそのものではなく、社会改良や生活改善、「コミュニティデザイン」という壮大なテーマを携えながら自分たちで社会教育を館を中心に集まってきた人同士で育み合っていこうということが重要だといえる。

・といえ、大真面目で壮大なテーマを日常生活的な生活の中で常に考えていくことは難しい。そこで娯楽やエンターテイメント性を重視した、やっていておもしろい、活動していて楽しいをまといながら、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)の蓄積から循環が自然と生み出される生態系が必要とされている。

・おもしろい楽しいを推進力とした活動には自発性や自治性が生まれやすい。さらにそうした活動において人と人との紐帯は強固となり、人と人とのつながりそのものが基盤へと発展していく可能性が高まっていく。

公民館の運営者には、すばらしいリーダーであることは求められておらず、集まってくる人たちの潜在的に持っている力を引き出せる人であり、コーディネーションできる人が必要である。

特に最後の一節にはビビッとくるものがありました。

すばらしいリーダーではなく、コーディネーションできる人が社会教育の拠点としての公民館には求められているということ。

自分たちで、自分たちの地域の暮らしをよりよくしたいと考える人たちが集まり、ともに学び合い、行動する場を「社会教育の実践の場」と考えれば、そこが具体的な場所ではなくても、公民館的な社会教育の場を生み出すことができるということではないか。
そしてそこにはコーディネーションできる人(コーディネーター)の存在が必要であるということ。

私自身のこれからの地域での活動にもつながる重要なヒントを得ることができました。

メルマガ「月刊 地域でしごとをつくるマガジン」を発行しています

毎月はじめに、メルマガ「月刊 地域でしごとをつくるマガジン」を発行しています。

前月に取り組んだ各プロジェクトの状況、一般社団法人ときがわ社中の活動、地域でのしごとづくりに役立つ本のご紹介、今後の予定などをまとめています。

サンプルや登録フォームはこちらのページからご覧いただけます。

地域でのしごとづくりに取り組んでいる皆さまのお力になれたら嬉しいです!